今回はテト前後を通じて改めて考えた私の義親族との関りについての話。内容的に愚痴っぽい話になりますが、今後の結婚生活を続ける中では結構重要なことになると思いましたので自身の思考の整理も含めて書いてみます。
まずは自分の環境のおさらい
自分の住まいから義実家までは車で30分程度の距離。一応ハノイではありますが郊外のド田舎です。でもって昔からある古い村なので先祖代々そこに住んでいることから村を歩けば誰かしらの親族と会うという世界です。(*ベトナムではこれを「quê gốc」と言います。)そんな環境なので、例えば冠婚葬祭、法事などであれば親族だけで100人越えというのは普通で、先日亡くなった義祖母の葬儀には親族だけで150人弱の弔問があったそうな。そのうち8割がたは同じ村の人間のようなので、そりゃ歩けばどこかの親族に出会うというのは頷けます。
親族だけで150人なんて日本で育った私からすると考えられなかったわけですが、一世帯5人とすると30世帯が来るということで、まあそんな数にもなるだろうなと普通に納得してしまっている自分は感覚がマヒしてきているようです。
こんな感じの繋がりなので、毎月、毎週どこかの親族が法事を含む冠婚葬祭をやっているわけでして、すべてに出席したらプライベートに時間を割くことができなくなるのではと思われます。
結婚当初から徐々に頻度を減らす作戦へ
結婚してすぐのころは毎週末に義実家に行ったり、よく分からない人の冠婚葬祭に出席したりしてましたが、いい加減面倒くさくなり、妻に対して「顔も分からない人の冠婚葬祭には出ない」宣言をしました。これだけで大分頻度は減ったのが結婚一年目。しかし結婚6年目となると、何かしらの機会で顔を合わせたことのある人が亡くなったとか、その人の子どもが結婚した云々やらで、最近またその手の催しに出る頻度が上がってきたので、ちょっとまた考える必要が出てきたなと思っています。あと子どもがいるので更に何かしら関りが増えます。
いちいち人数が多いのも面倒くさい
義実家に行くのは今は月1ぐらいでしょうか。でもそれ以外の法事、冠婚葬祭なども含めると年間20回ぐらいにはなっていると思います。また月1で義実家に行くときは夕食を食べるのが通例ですが、義兄家族、義叔父家族、プラス都度ランダムの親族2~3人が集うのがデフォルトなので、いつも20人ぐらいの宴会になります。個人的に普段は義両親だけで十分なんですが、如何せん「人は多ければ多いほど楽しい」ベトナム人なので、私が思う人数構成になることはまずありません。別に嫌な人がいるというわけではありませんが、この大人数が地味に疲れるんですよね。
因みに100人規模の法事とかになると誰か分からない親族の中に一人放り込まれて飯を食うという構図によくなりますが、いくらベトナム語が分かっても共通の話題もありませんし、双方の環境、年齢が違い過ぎるというのも結構キツイです。中には酔っ払いが絡んでくることもありますし、とりあえず日本人というだけで「ホンダ、トヨタ、アジノモト」なんて知ってる単語を言ってこられることもよくあります。これ結構イラつくんですが、昔ブルガリア人の友人が「いつも日本人からヨーグルトと言われて困っている」と言ってたのが今となってはよく分かります。
でもってテト
言うまでもなくテトも集まります。ただ義祖母が旧暦の12月27日未明に亡くなりまして、そこから27日、28日は私も仕事を休んで参列。31日は義実家で大晦日の集まり、1月1日は言うまでもなく、2日も同じノリでパーティ。3日は義母側の親族を呼んでパーティ。4日は義祖父の兄弟一族とパーティー、5日、6日はよく分からん親族系でetcそんな感じでテトは続きます。
また義父から「テト休みが終わったらみんなで旅行に行こう!」なんておよそ会社員からすれば「???」な提案が出る始末(しかも日程を聞くと平日で、何やら縁起が良い日取りらしい)。当然私はパス。
ところで私の中では年末から怒涛の訪問が続いたので、1日は朝に挨拶して昼飯食べてさっさと帰るつもりだったんですが、勝手に妻が夜までいる計画で話を進めていたこと、また次の日も同じノリで勝手に話を進めていたこともありイライラモードに。「俺は帰るからお前と子どもだけいればいい」ということで帰ろうとしましたが、テトにいないと印象が悪いという妻の言葉を聞き「それで印象が悪くなるならそこまでの関係」と切り捨てて帰りました(笑)どうも普段から頻繁に実家への行き来があることや、どうせ明日も行くんだし、という観念はないようです。
物理的な距離があるので仕方がないんですが、妻は日ごろから日本側の親族に対して気を揉むことがなく、私がベトナム側の親族で都度気を揉む状況が気にいらず余計にイラついたんだと思います。
特に誰かが嫌というわけでもなく、ただ頻度が高ければ面倒くさいと感じる私の性分。しかしそれが中々伝わりにくく、「嫌じゃないのになぜ面倒くさいと思うのか?」という堂々巡りが続きます。また「こういう配慮をしたら頻繁な訪問も問題ないのか?」という斜め上に話が進むことも。個人的には年2~3回の訪問でも十分だと思っていると伝えると涙目になられることもあります。
「嫌いだからあまり高い頻度で会いたくない」と言えばすんなり?理解はできるのでしょうが、それはそれでこちらの本意とは異なります。いやはや感覚の部分を外国語で正確に伝えるのは骨が折れるものです。ここ数年妻とケンカになるときは原因の半分以上が親族絡みなので、これも何とかしないといけないと思っています。ただこれは中々根深い問題なので苦労が予想されます。