日越の外交関係樹立50周年ということで、日本とベトナムの両方に関連する歴史や映画、舞台などの紹介が行われていました。今回はその中の「アニオー姫」について書きます。
アニオー姫
アニオー姫、知っている人はどれほどいるんでしょうか。勝手に推測しますとベトナムに何かしら関りがある人でも「名前だけは聞いたことがある」という人が少しいる程度かと思います。日本のオペラでアニオー姫が上演されましたのでオペラ好きの中で若干知名度が上がったかもしれませんね。
このアニオー姫ですがベトナムでも別に有名ではありません。普通のベトナム人に聞いても「誰それ?」レベルです。簡単にどんな人かの概要を書くと、
1600年代に王朝の養女としてアニオー姫がいました。その当時ベトナムのホイアンは日本と貿易を行っていたんですが、日本の商人である航海士であった荒木宗太郎という人と出会い結婚します。しばらくは通い婚みたいな関係だったようですが、後に長崎へ移住。荒木宗太郎が他界した後も長崎に留まり、日越の貿易関係の発展や継続に尽力したそうです。
かなりざっくりですが大体こんな感じです。アニオー姫の正式名は「Ngọc Hoa」ということで、アニオー姫は日本での愛称です。ベトナム語で夫を呼ぶときに使う「Anh ơi.(アイン オーイ)」という言葉がありますが長崎でもこのようによく言ってたらしく、それを聞いた日本人が「アニオー姫」と名付けたんだとか。日本語でいうと「あなた姫」みたいな感じ。
昔の国際結婚で思うこと
当時の国際結婚って言語はどうだったのか?これは毎度思います。今みたいに交流が薄く情報もほとんどないような時代、語学を学ぶにしてもかなり大変だったんじゃないでしょうか。夫婦で談笑とかできたんかな?とか、家庭問題が起きたときに話し合いとかできんのか?とか自分レベルの生活に置き換えてよく疑問に思います。ただ行き来の困難さなどを考えても今より国際結婚は相当な覚悟が必要なのはいうまでもないでしょう。そう考えれば今の私の国際結婚生活なんてゆるゆるです。
アニオー姫は日本に行ったパターンですが、逆にベトナム人女性と結婚してベトナムに留まった日本人もいるわけで、ホイアンにある谷弥次郎兵衛の墓が一番有名でしょうか。鎖国の関係で本国に帰る命令が日本から出たようですが、既に懇ろになったベトナム人女性がいたので現地に留まることを選択したそうです。これも日本との関りを絶つぐらいの相当な覚悟かと思います。谷弥次郎兵衛、やっぱり私の生活レベルに落とし込むと言語の他に身内との関りとか隣近所との関りとかに頭を悩ますことはあったのだろうか???