6月28日はベトナムの家族の日とされています。それほど広く認知されている日ではないようで、ちょっとテレビで触れられていたり、学校などで取り挙げられていて大人は気付く日といった感じかと思われます。私も10年近くベトナムにいますが今年初めて子どもの幼稚園を通じて知りました。今回は「ベトナムの家族の日」について考えたことを少し書きます。
家族の日とは?
2001年に制定されたのでそれほど歴史はありません。旧ホーチミン主席が制定のきっかけになっていて、簡単に言いますと「社会を形成、発展させるには健全な家族が必須」という考えに基づいているようです。家族を出すところはさすがベトナムと言いますか、まあ「らしい」ですね。しかし「家族」というと我々日本人は「おとうさんとおかあさん、そしてその子どもたち」という核家族を想像する人が多いと思いますが、ベトナム人は拡大家族にプラスして兄弟家族、その他親族を合わせて「家族」と想像するでしょう。日本人的には「家族」というより「一族」のような認識で見たほうが理解しやすいかと思います。
良好な関係の家族がもたらす恩恵
旧ホーチミン主席の「社会を形成、発展させるには健全な家族が必須」という考えには個人的に賛成です。日本の場合は社会の発展のために出産、子育ては取り上げられることがあるものの、家族関係にまで言及されることはほとんどありません。家族関係というとそれぞれの家庭事情がありますし、国が政策をとるには限界があると思いますが、子どもの健全な発達と言う観点で家族やそれに代わる大人との関係性は大きなものだと感じています。
ベトナムに来てから度々思うのは日本と比べて精神的に病んだ犯罪が少ないということ。自殺などの類はベトナムでも時折聞かれますが、例えば「誰でもいいから殺してみたかった」とか「死刑になりたかった」なんてレベルの犯罪はベトナムで聞くことがありません。これについてはベトナム人からしても理解不能なわけで、いわゆる日本社会の闇の部分として日本を知るベトナム人の間では認識されています。また引きこもりといった存在もベトナムでは聞くことがなく、やはり人との関りという点で日本との差を感じてしまいます。
全体的に「とりあえず家族がいれば何とかなる」という精神がベトナム人からは滲み出ていると言いますか、ある意味精神安定剤的な役割もあるように思います。時に私からすればそれは甘えの他ならないと感じることもあるわけですが、少なくともそういった文化性の中で今のベトナムがあるということは窺えます。
ベトナムのような一族単位で密に関わる必要は必ずしも必要ありませんが、やはり子どものときに親やそれに代わる大人と密に関わる経験は一生ものなんだろうと実感します。自分にとって安心できる存在が常に身近にいるというのは大人になっても心強いものですね。