日本が新興国に資金援助をすることはよくありますが、援助する国によっては日本国民から疑問視されることも多いかと思います。今のご時世では日本の国内経済自体が揺らいでいるので、国を問わず海外への資金援助について否定的な人もいるのではと思いますが、やっぱり今でも新興国に対する資金援助は行われています。ベトナムもその国の中の一つでして今回はそれについてある記事を読みながら感じたことを書きます。
新興国援助は何のため?
先日こんな記事を読みました。
https://www.viet-jo.com/news/nikkei/210427183803.html
大体3億円ぐらいの拠出らしいのですが、新興国への資金援助を総額すると結構な額になるだろうというのは容易に想像ができます。そこで気になる一つの疑問。
「何かしらの見返りを求めての行為なのだろうか?」
似たような高校生の疑問に対して専門家が答えている記事がありました。
https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Column/ISQ000007/ISQ000007_012.html
上の記事では援助する側の理由として以下の4つを挙げています。
1、道徳的義務:困っている人を助けるのは人として当然
2、道義的責任:先進国が新興国を助けるのは過去の過程から見て必然の行為
3、共通利益:最終的に自国への利益につながる
4、自己利益:援助に関わる自国の企業にとっての利益になる
大体の人は3の共通利益ぐらいの感覚で考えているのかなと思いますがどうでしょうか。私もそんな感じです。正直1と言われても今の日本にそんな余裕があんのかな?って感じがしますし、2と言われてもいまいちピンと来ない国もあります。4については国民すべての利益に繋がる経済発展なのかな?と思うところもあります。
地球人として考えろ?
この専門家は他に以下のような考え方を提案しています。
あなたは何人(なにじん)か?
もう一つ考えていただきたいのは、自分が何人(なにじん)なのか、ということです。この問いに対する答えは複数あるのが普通です。例えば私は大分県別府市に住んでいますので、別府市民であり、大分県民であり、日本国民です。それに加えて、私はアジア人でもあり地球人でもあります。もし宇宙以外に生物の住む世界があったなら、その世界に住む生物から私は「宇宙人」と呼ばれることでしょう。ここまでは地域的な広がりから自分の「所属」を整理しましたが、それ以外の所属もあることに気づきます。例えば私は山形家という家族の一員であると同時に、国際開発学会の会員であり、立命館法人の社員であり、別府市鶴見ヶ丘地域のバスケットボールサークルのメンバーでもあります。このように一人の人が、重なり合ういくつかの社会に同時に属しているのは普通のことです。質問した方は、それらのいくつかの中から、どうして「日本」という社会を取り出して、「日本にとってどんないいことが」と問いかけたのでしょうか?自分が「地球人である」という属性を重視したとしたら、「地球人が、他の地球人のためになることをする」ということがより自然に感じられないでしょうか?
日本の政府開発援助は、日本政府が日本人に代わって行う活動です。日本人が「地球のために行ってほしい」という思いを込めるのであれば、日本政府は「地球のために」行うべきです。ですから我々(この場合は日本人)が、どんな思いを込めるかが問われます。さて、あなたはどんな思いを込めますか?
https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Column/ISQ000007/ISQ000007_012.html
う~ん、どうなんでしょうね、これ。質問した高校生もちょっと言葉に詰まりそうな気もします。要はコスモポリタン(地球市民)として考えてみろということですね。ちょっと規模を狭めると、東日本大震災で政府が復興の援助をすることについて、直接的に被災をしていない地域の日本人は何か見返りを求めるのか?ということにも繋がるでしょうか。
この考え方はすごくキレイで平和的ですし、学校の先生が子どもに教えるにはいいかと思います。ただそれで100%納得とはいかないでしょうね。自分の家族が貧困で飢えているのに、貧しい人に寄付なんかしてたら「何しとんねん!」と家族からツッコまれるでしょうし、ある程度の余裕がないと中々できない行為かと思います(ある程度の余裕という基準は人によって様々ですが)。
余裕のある暮らしとは
恥ずかしい話、私も自分の生活に十分な余裕があるとは思っていません。子どももいますし、日常の生活費、将来的な子どもの教育費、老後の生活費などなど考えるとお金に関する考え事は尽きません。とは言うものの今のところ決して貧しい生活をしているわけではありませんので、毎月5万VNDを上限に寄付をしています。これは進んで寄付をしているというものではなく、路上やどこかで寄付を求める貧しい人に出会ったときは、その金額の範囲内で寄付をするというものです。大体1回1万VND渡すので月に5人までというイメージです。日本円でたかだか250円程度ですし、その寄付も本当の意味での寄付になっているのかよく分かりませんが何となくやってる感じです。ちょっとした自己満足の感もあるのでしょう。
少し話が逸れましたが、自分が絶対的に守るべき範囲の人をおさえた上で、余裕があるのであれば援助するのも一考だと考えます。日本もそんな感じで新興国の援助をやってもらえればと思います。