義祖母の100日の法要を控え、その時の法事の準備について義父と義叔父が言い争ったんだそうな(妻経由で話を聞いています)。今回はそのやり取りの中で考えたことを書きます。
仕出しは誰が準備するか
49日もこの前済ましたところなのに100日って早いなと感じる傍ら。100日は49日の時よりも呼ぶ人が多いので準備もそれなりに手間がかかるようです。49日の倍ぐらいと言ってたので多分200人ぐらいでしょうか?
その時の仕出しについて義父と義叔父が争ったのが仕出しの料理を誰が準備するか、ということ。誰がといっても自分たちで準備するか、業者に依頼するかということです。ベトナムでは伝統的に仕出しは自分たちの近い身内通しで準備することが普通ですが、最近では業者によるサービスも普及しつつあります。二人の言い分は以下の通りです。
義叔父「自分たちでやれば食材の調達から調理、食器の調達から片付けなど手間がかかる。業者に任せればこの部分を全て考えなくていいから楽で合理的だ。」
義父「業者に任せるとそれだけ費用がかかる。それに自分たちで準備したほうが身内へ精神的に気を遣わせなくて済む。」
とのこと。現代の日本人の感覚でいくとほとんどの人は義叔父の考えではないでしょうか。義父の言い分は外国人(私)として心理を知りたいところです。というわけでもう少しその部分を聞いてみます。
義父の考え
順番に見ていきます。まず「費用」について。業者に依頼するより自分たちで準備したほうが費用がかからないのは分かります。仮に今回の規模で業者に依頼するかしないかで20万円ほどの差があるんだそうな。ベトナムの物価を考慮すると日本でいう50万円ぐらい変わってくると思っていいかと思います。
また義父は長男なので今回の法事における金銭負担の中心となります。もちろん義叔父も負担はしますが割合は長男のほうが多いというのがベトナムではよくあることです。例えば義叔父が「業者にかかる費用は全部負担する」と言えばケンカにもならないんでしょうが、そういうわけではない模様。これは義父が怒るのも理解できます。
続いて「身内へ精神的に気を遣わせなくて済む」について。聞いてみますと実家の法事ではそれこそ人数が多いので都度香典を徴収するような野暮なことはしません。もちろん訪問者はお供えや個人の心づけとして金銭を渡す人もいますが、それがあるかどうかは重要なことではないのです。
親族が集中している集落では他の家でも法事が行われることもしょっちゅうで、そのときは自分も無償で呼ばれます。要は「お互い様」精神のもとに成り立っているわけです。とは言うものの何もしないで、ただ飯食うのもどうかという気持ちもあるわけで、じゃあせめて何かしらの手伝いをしようという考えになります。なので業者に依頼すると、その近い身内の遠慮を紛らわす機会を無くしてしまうことになるという点、また業者を使うとお金がかかることは誰もが知っているので、訪問者に香典を渡さなければと思わせる気持ちを強めてしまうというのが義父が反対する主な理由となっています。私にとっては複合的な異文化要素が混ざり合った上での論理ということで理解できました。
そもそもベトナムの法事
ベトナムの法事と言っても距離が遠い親族にとっては飲み会です。別に正装して参加するわけでもありませんし、仏壇の前にきちんと座って坊さんの読経を聞くということもありません。最初に故人に線香をあげて軽く談笑し、酒を飲んで飯を食べて帰るだけです。こういっては何ですが故人を弔うなんて雰囲気は全く感じられません。
こういう催しごとのときは女性陣が給仕に徹してせっせと働くわけですが、基本男は酒飲んで笑ってるだけです。今の日本だったら女性陣にキレられそうなことなどそこかしこに見られます。何となく昔から気になってたので、近い身内の女性陣に聞いていました。
私「ベトナムの女の人ってそういう状況に腹立てたりムカついたりしないの?」
女性「男はそういうもんって環境で育ってるからね。全然に気にならないわ。」
男性にとっては都合がいいですが、これからの世代や親族関係が希薄な環境で育った人にとっては通用しなくなってくるのではと思われます。因みに私の妻も妻の実家と同じようなレベルの親族付き合いがあるベトナム人男性とは結婚したくなかったようです。今は日本人の妻としてベトナムに住んでいますので、その煩わしさはないと言えます。と言っても国際結婚としてベトナム人と結婚するより面倒くさいことはたくさんありますから、何とも言えないでしょうね。