日本の学歴フィルター炎上について

日本で「学歴フィルターじゃないのか?」ということで炎上しているという記事を見ました。今回はこの学歴フェイルターについて思うことを書きたいと思います。

学歴フィルターで騒がれてもどうしようもない現実

採用の機会を平等に与えろということで学歴フィルターが色々言われているようです。まあどんな人材を選ぶかはその企業の自由なわけで、「今年は偏差値60以上から10人、偏差値50以上から59までで10人、偏差値49以下から10人採用しよう」みたいな採用をしている会社は聞いたことがありません。

高学歴で固めている会社は色々ありますが、高学歴で固める理由はそれなりにあるのでしょう。というか以下の理由がほとんどだと思います。

優秀な人材を採れる確率

もちろん業種にもよりますが、一般的に「偏差値が高くて仕事ができる人」と「偏差値が低くて仕事ができる人」の割合を言うと、経験上、前者のほうが高いです。有名な企業で応募者が殺到すると全員と面接するわけにもいきませんのでフィルターをかける必要があるわけで、効率の観点から学歴によるフィルターをかけざるをえない事情があります。ただ露骨にフィルターをかけるのもあれなのでとりあえずSPIなど筆記試験を課して、そこで振り分けをしていることもあります。「○○大学から下のレベルの大学は採用しません!」と公言しても違法性はありませんが、世間的なイメージが悪いから言わないだけで、裏でそんな感じの選別をしている会社はたくさんあります。

またどんなに優秀な面接官でも完全にその人が優秀な人材かどうかを見極めるのは不可能です。入社してみないと分からない運の要素が多かれ少なかれ存在しますので、運の要素を高めるものとして学歴チョイスは間違っていないというのが私の考えです。

「偏差値が高いほうが絶対仕事ができるとは限らない!」という主張もあります。確かにその通りですが、あくまで確率論の話で、新卒であればなおさらのことかと思います。

採る側の権利は?

私は決して学歴至上主義ではありませんし、日本の最高レベル(東大や早慶上智など)の大学を出ているわけではありません。なので場合によっては学歴フィルターにかけられることもある立場なのかもしれませんが、かけられたらかけられたで

「そういうスタンスの企業なんだな」

で終わりです。それ以上もそれ以下もありません。これを差別だと騒ぐのであれば大学を入り直せば?と思いますし、同じ条件下で受験をして、その大学に進んだ自分の行動にも責任があることを自覚するべきではないでしょうか。中には「家庭の経済的な事情で誰でも十分な教育環境を与えられているわけではない」という主張もあるそうですが、企業からすれば「そんなこと私らに言われても。。。」かと思います。

「まあ仕方ないよね」みたいに受け入れている新卒の子たちのほうが社会人としてはよほど印象がいいかと。

そもそも求人とは建前のオンパレード

年齢や性別、その他に関して平等の機会を与えない旨を求人に掲載するのは禁止されていますが、表面に書いてないだけで実際のところ裏の本音はあるものです。女性を採りたいと思っているので、男性が来たら適当に理由をつけて断るというのは普通にありますし、年齢でも同じような現実があります。企業もボランティアで活動しているわけではありませんので事業にとって一番必要な人材を採るためには制限をかけなければいけないのは当然です。

学歴フィルターと騒いでいる新卒者は、むしろ社会に出てからそのくやしさバネに努力して見返す方向にエネルギーを費やすほうが生産的かと思います。

出自などの差別はベトナムでは禁じられていますが、性別や年齢、学歴などの応募制限は今のところベトナムで制限されていません。むしろ応募する側もそういったことを事前に明示されているほうが無駄な応募をしなくて済むと肯定的な考えです。ベトナムは法律的に未整備な部分がまだまだ多く、私も仕事をする上で頭を悩ますことが多々あります。ただこの未整備な部分があるからこそ色々な可能性を考える良い機会になっています。

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