ベトナムでレストランなどに行くと残った料理をそのままに席を立つベトナム人を見ることがよくあります。お腹いっぱい満足ということで会計を済ませるわけですが、食べ物を残すことについてはどのように考えているのでしょうか?今回はベトナム人のお残しについて。
食べられる分だけ頼むのか、食べたいものを頼むのか
あるベトナム人と二人で鍋料理を食べに行くことがありました。鍋料理一つで十分と思いましたが、友人は他のサイドメニューを結構頼みます。そんな腹が減っているのか?と思ったものの、実際に来た料理を平らげるかと言われればそういうわけでもありません。
案の上、二人で鍋+サイド料理を食べきれるはずもなく残すことに。単純にもったいないと感じた私でしたので、後日この件について別のベトナム人の友人にぶつけてみるとこんな返答が帰ってきました。
「ベトナム人と食事するとそういうこと結構ありますよ。とりあえず足りないことがないように色々頼んだのかもしれませんね。ベトナムの場合食べきれなくてもパックに詰めて持ち帰る選択肢もありますし、食べきれることを第一優先に料理を頼むという感覚はないかもしれません。」
そういうもんかねぇと思いつつ、足りなかったら後から追加で頼めばいいのではと思いますが。。。食べ物を残すことに抵抗のある日本人的な感覚としてはどうにも腑に落ちないところ。
もったいないの感覚は人それぞれ
今の妻と知り合ってから同じようなシチュエーションになったときに嫁は鍋料理しか頼みませんでした。お互いにそれで十分だろうと思っていたことや、残ればもったいないという感覚は比較的私に近いものがあるようです。まあ当時は外食に行くと基本的に私がお金を出していましたので、注文したものを残すのは私に対して悪いという気持ちもあったのかもしれません。
またベトナム人同士が食事に行く際に少し興味深い話を聞きました。行く前に基本的な予算を漠然と設定しておいて、そのお金の範囲内であれば散財は厭わないというものです。例えば仮にAのレストランで50万VND使うと事前に想定しておけば、そのお金の範囲を超えない限り「もったいない」という感覚は出にくいらしいです。万人に当てはまるものでもないと思いますが、男性が飲みに行ったりするときもそんな感じの飲み方をする人は結構いるようです。一応事前に自分が使ってもいい金額を決めている辺りは健全な「宵越しの金を持たない」輩と言えるでしょうか。
またベトナム人の残すことに対する「もったいない」は「食材が無駄になる=食費の無駄」という考えが先行し、「食材の生命」に対する思想などは聞かれません。これは日本の「いただきます思想」独自のものなのでしょうか???
ご飯を食べるときは米粒一つ残さず食べる、汁は一滴残らず飲み干す、こんな環境で育った私は食べ物を残すことに何とも抵抗を持ってしまいますが、これもそれぞれの文化があってこその考えです。特にベトナムの食卓では個人の皿に料理が盛り付けられず、大皿から自分が食べる分を取り分けるスタイルですので、完食の定義が難しいところがあります。そういうこともあり、食べ物を残すことに対する個人の責任範囲?が見えにくいわけで、一般的にベトナム人が頑張って完食しているという光景はあまり見ることがありません。