礼に始まり礼に終わる、か

甲子園が昨日で終了。日曜日で時間的&隔離期間中という意味で暇だったこと、ライブでネット中継がされていたこと、決勝が地元近畿勢同士の対決だったことなどが重なって最初から最後まで見ていました。甲子園の試合を最初から最後まで通しで見たのは確か6年前の一時帰国したとき以来だったかな。今日はその点について思うことを少し。*野球の話題です

智辯学園対智辯和歌山

兄弟校ということでユニフォームが同じなんで同キャラ対決みたいなんですよ。かなり前も甲子園でこの組み合わせの対決を見たことがありましたが、コロナでスタンドに観客がいないこともあり、なんというか甲子園でやる練習試合みたいな感じに見えます。満員の甲子園でやりたかっただろうなと思うも、優勝インタビューでの智辯和歌山の主将は

「去年の先輩はコロナで甲子園を目指すチャンスすら得られなかった」

ということで、やっぱり甲子園が開催されただけでも十分といった感じでしょうか。智辯和歌山というと昔から豪打の印象が個人的にありますが、この決勝でもやっぱりそんな感じでした。名将高嶋監督が引退されて新しい中谷監督へ。名前だけは知ってましたが、今回の視聴で初めて顔を見ました。これからも常勝軍団を作っていくんでしょう。

余談:2000年の智辯和歌山優勝時は破壊力もすごかったんですが誰もプロに行ってないということで、プロのレベルの高さを感じたことを覚えています。その当時唯一2年生だった武内はヤクルトスワローズに入団していますが、それでも一軍レギュラーに固定されるような選手ではありませんでした。私の同級生でかつて甲子園で活躍して六大学の野球部に進学している彼曰く「プロはバケモノの集まり」と言ってたんでそういうことなんでしょう。

しかしながら改めて金属バットはよく飛びます。

野球も時代の流れがありまして

80年代生まれぐらいまではスポーツって根性論みたいなところがあったんで、無茶な指導を受けていた人も多いと思います。「ミスったらどつかれる」「水飲むな」「連帯責任」などは典型例で私も学生時代の部活はそんな感じでした。因みに私が知るスポーツは野球とバレーボールですが、どちらも当時体罰を代表するスポーツです。女子バレーなんかも顧問による洗脳が結構激しかったと記憶しております。今回の決勝を見る限り、にこやかな表情でプレーしている選手もいて、一昔前の鬼気迫る表情で戦っていた選手と比べると時代の流れを感じるものです。

さて本題。優勝すると選手たちがマウンドに集まって歓喜するのは野球の醍醐味かと。しかし今回はそれをせずにすぐ挨拶の整列を行います。そして智辯和歌山の校歌が流れたあとにスタンドに向かって挨拶。その後喜びを爆発させます。これまでには見なかった順番ですが、一応前から「相手に礼を尽くすために試合終了直後に集まって喜ぶのはやめよう」と監督から言われていたようです。少し調べると和歌山の地方大会決勝でも同じようにしていた模様。

まあ日本の野球?というか高校野球っぽいと言えば高校野球っぽいですね。相手を打ち取ったり、ホームランを打ったりしても喜びを出さないようにするなど、日本は野球に対してちょいちょい柔道や相撲のような精神を持ち出します。スポーツではなく武道の感覚といえばいいでしょうか、これは外国諸国からは中々理解されずらいかと。

今後どうなるか

今回の智辯和歌山の行いは概ね賞賛されています。そして次回以降もこの流れが引き継がれるのか少し気になるところ。個人的に今回の智辯和歌山の礼を尽くす行為は立派だと思います。ただかと言って世間の反応から他のチームも同じようにすることを良しとする風潮はあまり出てほしくないなという思いもありまして、マウンドで優勝を喜ぶナインと悔しくて涙しているナインの光景が私の中では一番感動するからです。

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